イジュと歌声に森染まる
2007年5月20日 沖縄タイムス
国頭村出身のラテン歌手平・ゆきさんが20日、東村の「森のたまご屋さん野外ステージ」で開かれた。平さんは例年、イジュの花が咲くこの時季に山原でコンサートを開催しており、東村では、二度め。
平さんは「コンドルは飛んでいく」「伊集ぬ花」など12曲を歌い上げ、観客を魅了した。
県外からの追っかけファンも含め5百人以上が集まった。フィナーレの「それぞれのカチャーシー」では観客も一緒にカチャーシーを踊り、盛り上がりはピークに達した。
会場には、東村観光推進協議会のメンバーらによる村特産品の即売コーナーもあり、村を挙げてコンサート成功をもり立てた。
コンサート前には、会場で観客らによるイジュ木の植樹祭も行われた。
姉と一緒に来場した東村平良の比嘉美代子さん(52)は「平さんの県内のコンサートを追いかけている。迫力があって聞いていると活力がわき出てくる。植樹した木の成長を楽しみにしたい」と満足そう。
平さんは「梅雨の時期に咲くイジュの木を植樹し、やんばるの山々を真っ白の花で染めたい。地球温暖化など大きな問題に対して、自分たちができるい小さなことからやっていこうと思う」と話した。
平さんの歌声楽しむ 東村で伊集ぬ花コンサート イジュの苗木植樹も
2007年5月24日 琉球新報
国頭村出身のラテン歌手平ゆきさんの第八回「伊集ぬ花コンサート」(同企画実行委員会主催)が20日、東村慶佐次の森のたまご屋さん
野外ステージで開かれた。
東京や岡山など、県内外から約六百人が訪れ、平さんの歌声を楽しんだ。
同コンサートは梅雨の時季にイジュの苗木を植え、やんばるの森を白色で染めよう、と開かれている。
コンサートに先立ち、全員でイジュの苗木の植樹が行われた。
コンサートでは、軽快なラテンのリズムが会場を包んだ。ラテン風にアレンジされた「谷茶前」では平さんが観客に合いの手を求め「ラ・バンバ」で観客は総立ちになり、楽しいステージになった。
平・ゆき ディナーショー決定!!
2007/06/08
日 程:2007年7月24日(火)・25日(水)場 所:ホテルロイヤルオリオン
沖縄県那覇市安里1−2−21
098-866-5533
時 間:開場19:00
(ディナーショー)
19:30〜20:30 〜 20:30〜21:30
料 金:12,000円(コース料理 お飲物/フリードリンンク)
演 奏:津嘉山正明 with SPICE
※ダンスフロアを設け、生演奏でダンスも楽しめます。
生活の中に音楽息づく キューバに沖縄の風景
2004年1月4日 沖縄タイムス通信員ページ 寄稿
初めてキューバを訪れたのは十四年前。本場ラテンのリズムの迫力に、ただただ圧倒されるばかりだったが、それでもこの国の輝く太陽と青い海、一面に広がるサトウキビ畑を目にして、まるで故郷に帰ってきたような懐かしさを感じた。そして2000年の「キューバ親善交流の旅」で再訪。ガルシア劇場の公演では、琉舞を初めて見る県系三、四世たちが、目に涙を浮かべて喜び、ステージで沖縄民謡やラテンの曲を歌った私にもこの地に根ざすウチナーンチュたちの熱い思いが伝わってきた。
それから三年越し、沖縄とキューバの交流に思いを寄せて、日本からキューバへと旅立った。まずはスペイン語の習得が第一課題である。やわらかな潮風を受けて勉強に励む毎日。生活してみると観光では見えなかったキューバの素顔に出会える。
キューバ沖縄県人会会長のアントニオ・ヨヘナ夫妻と再会できたのは、到着後間もない十一月初めだった。ヨヘナさんの自宅には沖縄関係のものがきちんと保管されていて、習い始めた日本語混じりに語るヨヘナさんの目は故郷への深い愛情と情熱に満ちていた。
東西に長いキューバ各地をヨヘナさん自ら調べ回って作成された分布図によると、県系人口百九十二人。至る所で沖縄の血が継がれていることにあらためてウチナーンチュのたくましさを感じる。中でも、イスラ・デ・ラ・フベントウ(青年の島)にはハバナに次ぐ五十二人もの県系人が暮らしているという。
三世以降は、日本語を話せる人も少なく、県人会の設立や世界のウチナーンチュ大会、そして沖縄のジュニアスタディ研修を機に、日本語や沖縄文化を知りたいと求める声が高まっていると聞く。
私もウチナー口や三線などの文化を伝えて、キューバに住むウチナーンチュたちの思いに応えていきたい。そして、音楽が生活そのものに息づくこの国で、原点に戻って踏み出せる今を大切にしながら、新たな夢へ向かって進んで行きたいと思う。
日本の反対側・キューバ 沖縄の原風景と出会う
2003年7月30日 沖縄タイムス「美らしま清らぢむ」掲載
十四年前、見砂直照氏と東京キューバン・ボーイズのメンバーに同行して、音楽の世界で憧れだったキューバを初めて訪れた。青い空、輝く太陽、一面に広がるさとうきび畑、そして人々の温かい笑顔。長い間ふるさとを離れていた当時の私が日本の反対側キューバで目にしたのは沖縄・山原を彷彿させる懐かしい光景だった。街の至る所に音楽が溢れていて、各地で参加したフェスタでも、本場ラテンビートに圧倒されるばかり。長老ミュージシャンたちの誇りに満ちた姿にも感銘を受けた。
この国のラテンのリズムとパワーには到底かなわない。そんな挫折を感じながらの帰国だったが、次第に、自分の中にあるものをありのまま自分で歌っていこうという気持ちに変わっていった。そして、自身のルーツを見つめ直した時、キューバで再会した、ふるさと山原の原風景が目に浮かんだ。沖縄には世界に誇れる音楽がある。このころから試行錯誤を重ね、沖縄民謡にラテンのリズムを取り入れた新しいウチナーラテンの曲が生まれ始めた。
その後、再びキューバを訪れたのは2000年の8月。沖縄ツーリストが企画する、「キューバ沖縄県人会友好の旅」で交流団のエンターテイメントに参加した時だった。沖縄から南米諸国に移民の多いことはよく知られているが、キューバにも糸満漁民らウチナーンチュが苦労して渡り、百七十三人もの多数でこの県人会を設立できたことはうれしい驚きだった。
ハバナ国立ガルシア劇場の公演で、琉舞を初めて見た県系三世、四世たちは目に涙を浮かべて喜び、地元バンドの演奏で沖縄民謡やラテン音楽を歌った私も、海を越えて長い年月を隔てても変わらないウチナーンチュとしての魂の響き合いに胸が熱くなった。キューバの地にウチナーンチュがこれほどしっかり解け込んできたのは、お互いの持つ気質の温かさのためだろうと思う。キューバでは経済的に困難な家庭が多いけれど、人を招いては食卓いっぱいの手料理でもてなすという。私はこの話を聞いて、イチャリバチョーデーで人と接するウチナーンチュの肝心(ちむぐぐくる)を感じた。
キューバは長期間いるべき地だと確信して決意した音楽留学が今年ついに実現する。なぜこの年になって、という声もあるが、私は四十九歳になった今だからこそ、見据えた眼で新たな夢に向かっていけることに大きな喜びを感じている。年を重ねるごとに、それまで培ってきたものを花開かせる生き方をしたい。この一年間の滞在を通して、キューバの宗教音楽サンテリアと沖縄の祭り事音楽を融合させた独自の新しいウチナーラテンに取り組み、音楽以外にもスペイン語の習得、キューバで発達している有機農法の研修など、これから沖縄とキューバの交流の懸け橋となれるように思い描いている課題は数多い。
特にふるさと山原の土壌がキューバと同じ酸性であることは興味深く、キューバの有機農法を学んで山原にコーヒー園など香りの文化を築けたら素晴しいと思う。
キューバを注目の的にした映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」の大ヒットから数年を経ても、商業的ブームなどに関係なくキューバの長老たちは生き生きと演奏し続け、このことがキューバ観光にも大きな魅力を与えている。つい先日、コンパイ・セグンドが九十五歳でこの世を去ったが、生涯現役で歌い、ギターを奏でた彼に心からエールを送りたい。オマーラが今年で七十三歳。今なお世界中の公演で豊かな歌声を聴かせる彼女に比べれば、私の年齢などまだまだだ。
音楽が人に与える力のすごさ。それを実感して、心に輝きを持ち続けたい。
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